合気道とはと尋ねられて 

           平成二十七年一月 諏訪合氣会 北村正春

 

 「美しきこの天地の御姿は主の創りし一家なりけり」合氣道開祖植芝盛平大先生の道歌であります。

 合氣道は西洋の騎士道精神(勝負けと自分の名誉)とは異なり、自分の名誉の為ではなく世の為人の為には一身を賭して戦うと云う日本武道精神なのです。その心を持った上に戦いを失くして結び合い愛に満ちた世界を創る事を合氣として体現しているのです。「むすび」が武術的な表現をとった時合氣の技になるこの和にたいする強い精神が合氣道なのです。

 従いまして合氣道は護身の技です。対する者を触合い結び合って抑え又は解放し反省を与える。この事を稽古によりお互いに尊敬し合って身に付けるものです。

 道場に於ける稽古は、躰術・剣・杖・居合など多岐にわたりますが、全て同じ動きにより成立つ様に出来ております。初心のうちは基本の固い稽古、段々に柔体・流体・気体と一生涯を懸けてその人の感性に合った境地に成る迄続ける事に成ります。要するに、男女や長幼を問わず稽古する事が出来るのです。

 又、合氣道は警視庁機動隊に用いられておりますが、是は人を痛めつけず取抑える事が出来る為で、大切な国民に怪我をさせるなど決して有ってはならない事なのです。

 合氣道を稽古する者には、剣道・柔道・空手・ボクシング出身の者が多くおりますが、何も運動部出身者でなくても自分の現状に併せて稽古して往けば、女性は美しい身体を創る事が出来、体の弱い者は経絡の刺激に因り健康な体を創る事が可能となります。

 相手をやっつける稽古でなく相手と触合い結び合う稽古はお互いを尊重する強い精神力を育む事に成ります。勿論武道ですから何時でも相手を痛め殺傷する事が出来ますが、そのような人との触れ合いは詰まらないものです。皆さん合氣道を稽古しませんか。

  

 

 

合気道に導いてくれた恩師

 

 斎藤守弘 先生

 西尾昭二 先生

 

昇段の流れ

 

 初段 開祖   植芝盛平  先生

 六段 二代道主 植芝吉祥丸 先生

 七段 三代道主 植芝守央  先生

 

 

 

 

2017年9月9日 道主植芝守央先生をお迎えして春風館道場 道場開きを無事執り行うことができました 

 春風館道場道場開き祝詞

 

 維年平成二十九年九月九日の今日の生日の足日に、風清き信濃は諏訪の平見渡する清々(すがすが)しき、雨雲も高み(かしこ)み行き(はばか)る遠き富士の山・八ヶ岳、神住まう守屋の峰・霧ヶ峰を見はるかす春風館道場の室屋の清き処に、(いわ)い奉る掛巻くも畏き天照大神・建御名方大神・八坂刀売神・合氣御中主大神達の大前に、合気道道主植芝守央先生をお迎えし、斎主(いわいぬし)北村正春合気道人諸共に集い(はべ)りて、慎み(うやま)い畏み畏みも『道場開きの寿詞(のりと)』申し給わく。

 合気道は世の青人草にして其の身(すこ)やけく心武く、己を正しく保ち清き正き誠心(まことごころ)に仕え奉るは、人としての真の道にぞ在りける。 

 (さて)も吾国に(いにしえ)より引き継がれし武士(もののふ)の道は、今の現世(うつしよ)にも称え尊ぶべき真の道と精神(こころ)を培い行く人達は弥沢(いやさわ)なり。中でも合気道の道を志す人達も数多(あまた)在りぬ、(かれ)其々(それぞれ)(いそ)しむ職業(なりわい)学生(まなび)の身に在りても、日々に(つとむ)る傍ら、合気の道につつしみ励む求道者(まなびびと)(たち)在りなむ。

 今般(このたび)此の武道場に関係(かかずら)人等(ひとたち)相語り相(はから)らひ、(いづ)鋭心(とごころ)振起こし、合気道の守神の大御霊(おおみしるし)を戴き(たてまつ)る事と成り、道場開きの御祭(みまつり)仕奉(つかえまつ)らくと大前に御酒(みき)御饌(みけ)種々(くさぐさ)の物取副(とりそえ)仕奉(つかえまつ)言壽(ことほぎ)鎮め奉る事の漏落(もれおち)ん事の有らんおば見直し聞直し(まし)相諾(あいうなず)(たま)ひて、今も将来(ゆくさき)此処(ここ)の処に弥遠(いやとお)弥永(いやなが)に安く平穏(おだ)しく鎮まり()して、由理来(ゆりこ)地震迦具土(なるかぐつち)(すさび)を始めて八十悪霊(まがつみ)悪事(まがごと)無く夜の守り日の守りに護給(まもりたま)ひ、数多(あまた)門弟等(まなびとたち)が上を、(さき)真幸(まさき)護坐(まもりま)して、手の(まがい)足の(つまず)き無く、身健(みすこ)やかに平穏(おだやか)に、日に()(ゆる)ぶ事無く怠る事無く習い修め工夫研鑽を極め行かしめ給ひ、弥進めに進めし給ひと、平けく安けく聞食(きこしめ)せと鹿自(かくじ)物膝折伏鵜自物(うじもの)頸根(うなね)突貫て畏み畏みも(まお)す。